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あっしーが体臭が原因でいじめられていたときの話

あっしーが体臭が原因でいじめられていたときの話

こんにちは、あっしーです。

このページは僕がいじめられていた時、何を感じていたか、何を考えていたかをまとめたものです。

すごくつらかったことですが、今では「いじめられた経験ができてよかった。」と思っています。

おかしいですよね?でも、本当なんです。

そう思うに至った僕の気持ちの動きを細かく書いています。そのため、きたなかったり過激だったりする表現がありますが、ご了承ください。

いじめられている人の心情を知ることで誰かに寄り添えるようになったり、自分と同じ境遇の人がいることを知って元気付けられたり、僕の過去を知ることで僕が書く文章の芯にある気持ちを理解できたり…

このページを読んだ方にそんな風になってもらえたら、嬉しいです。

僕がいじめに気付くまで

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僕がいじめられていたのは大学時代のことです。その時、自分がいじめられているのだと気づくまでの話を書こうと思います。

僕は大学時代、バイトをしていました。時間を持て余していたからです。

他の大学に比べて授業数が少なかったです。1年間で取れる授業数があらかじめ決められていました。

僕らの先輩たちが単位を早めにとって卒業前は楽しようとして、授業を詰め込みすぎて単位落とす…という事例が多発したからだそうです。

サークルにも所属しましたが、週一回のペースでした。それもかなりゆるいサークルで、行っても行かなくても自由な雰囲気でした。

だから、いじめられていることに気づいてからは行かなくなりました。

と、それは置いておいて。

とにかく僕はなにか没頭するものがあるわけでもなく、大学も暇だったため、バイトに明け暮れていました。

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いじめに気付く少し前にバイトの掛け持ちを始めました。それまではひとつだけだったのですが、ふたつに増やして働きました。

増やしたバイトは飲食店で、肉を焼いたりする仕事がありました。煙は出るし油ははねます。そんな仕事だったので、始めてから自分のにおいが気になるようになりました。

制服はもちろん毎回洗いますし、汗のケアもします。油のはねた店内も毎回毎回掃除します。

それでもどこか不安でした。バイト先の先輩は「このバイト終わりで電車に乗るのって、迷惑なのかもなぁー」なんて言っていました。

僕はバイト先から家が近かったので、電車やバスでの通勤がなかったのは幸いでした。でもやはり、その言葉を聞いてにおいへの不安は高まっていきました。

そんな風にして僕は自分のにおいについて、不安を抱いて過ごしていました。そんな状態だったので、においに関する話題には敏感になっていました。

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友達と歩いていて、「なんか変なにおいしない?」なんて友達が言うもんならヒヤッとしたものです。

「僕は実はくさいんじゃないか」

「友達は無理して付き合ってくれてるんじゃなかろうか」

「心の中では僕を嫌ってるのかもしれない…」

そんな言葉が僕の頭の中で響いていました。

いじめられていることを自覚した時、僕に起こったこと

 

そんな不安を抱えながら過ごしていたら、周りの人たちが僕の悪口を言っているような感じがしたのです。

「くせー」

「ちゃんと風呂入れよ」

「まじこっち来んな」

「死ねよ」

実際に声も聞こえました。僕の勘違いではなく、本当に僕はにおいがひどかったようです。

最初は受け入れがたく、気のせいだと思い込もうとしましたが、まぎれもない事実でした。

僕はいじめられていることを自覚しました。その後、いろんなことが起きたり考えたりしました。それを1つずつ書いていこうと思います。

人間不信

まず最初に起きたのは、人を信じられなくなることでした。

僕は自分のにおいを不安に思っていましたが、自分自身では不快なにおいを感じられませんでした。

それにもかかわらず、僕はそれが原因でいじめられてました。もう、自分の感覚も信じられませんでした。

それと同時に、僕と関わってくれる人全員を疑い始めました。僕がいくらいじめられていようと、なにかしらの形で客の立場になると、相手は笑いかけてくれます。

素直にそれに感謝できればよかったのですが、僕は「どうせ心の中では、僕を睨みつけてるんだろ」なんて思っていました。

確かにそうかもしれません。でも、そうだとしても、自分からストレスに突っ込んでいくようなことはしなくてよかったはずです。

しかもそのストレスは、僕の成長や周りの人を助けることにつながるわけでもありません。

自分の状態に申し訳なさを感じるくらいなら、まだ健全だと思います。ただ、その当時の僕はいじめられているという事実に押しつぶされていました。

そういう罪悪感も自分の情けなさやつらさによって、必要以上に膨れ上がってしまいました。

自分を含めた全ての人を信じられなくなったのです。これは本当に辛いことでした。

僕はこうなって初めて、僕らはなんらかの信じるものがあるからこそ自分が自分でいられるのだと知りました。

僕はそれまでも自分に自信があるわけではありませんでした。しかし、それでもなにかしら自分を支えていたものがあったのだと、実感したんです。

本当に何が何だかわからなくなったのです。今までだって分かっているとは思ったことはありませんでしたが、それ以上に不安定になった僕自身の精神を見て、そう感じたのです。

知人・友人がいなくなる

こんな状態でしたから、他人のことを思いやる余裕も、自分のことを自分でやる気力もありませんでした。

そんな僕ですから、今まで仲良くしてくれた人たちも僕から離れていきました。また、僕自身が彼らとの関わりを避けるようになりました。

怖かったんです。今までの関係があっさりと壊れてしまうのが。「だったら自分から切ってしまおう」そう思ったんです。

相手から切られるより、自分から切った方が、ダメージが少なくて済むと思ったんです。

確かに短期的なダメージは減りました。だけど、友人に自分のことを隠している後ろめたさ、友人を信用できない自分の器の小ささがものすごく僕を苦しめました。

自分自身では自分のにおいがわからないのであれば、他人に確認してもらうことしか手段がありません。

どこがにおうのかも、どんなにおいなのかもわからない僕は、効果的な対策ができずにいたのです。だから、手当たり次第にやりました。

口臭、ワキガ、制汗、足のにおい…

たくさん、たくさんお金と労力をかけてました。汗の拭き取り、衣類のケア、トイレに入るたびに着替える。

効いているかどうかもわからないものをやり続けたり、買い続けるのは本当に苦痛でした。

そして、いじめは一向に収まりません。僕が買ったものは何一つ効果がなかったのかもしれません。

口コミなどで評価の高いものを調べまくって見つけ出して購入していたのに、本当にショックでした。

買うたび、「今度は大丈夫なはず!」と期待を高めていました。そして、撃沈する。こんな繰り返しでした。

でも本当は分かってたんです。誰かに確認してもらうのが一番だと。でももうその時の僕は、人間不信に陥っていたので、そんなこともできませんでした。

ただ、いじめに気づいてから1年くらいの時と、2年近く経とうとするとき、僕は意を決して人に打ち明けました。そのふたつは対照的な結果を生むのですが、それについては後半で書きます。

学校生活と今までの後悔

そんな状態が続き、僕は日々の楽しみどころか生きることへの関心もありませんでした。食事をしたり、学校に行くことさえも億劫で仕方なくなりました。

僕は小学校の時から高校まで全て皆勤賞を取っていました。学校を休んだことはなかったのです。大学もその時までは一度も休んでいませんでした。

でももう、そんなのどうでもよくなりました。味方は誰もいないし、僕が学校に行かなくなったからといって喜ぶ人しかいません。

僕は何度か授業をサボるようになりましたし、授業中もずっと寝ていたりスマホをいじっていたりするようになりました。ひどい時には授業中に抜け出して屋上で一人でぼーっと過ごしたりしていました。

僕がもともと皆勤賞だったのは、身体が強いこともありますが、親からの圧力が強かったことが大きく関係しています。

「あんたは頭悪いんだから、授業くらい休まずに行きなさい。」そう言われ続けてきました。だから、熱があろうがなんだろうが学校に行かされていました。

大学に入ってからそんなことを言われた覚えはありませんでしたが、無意識のうちにその考えが頭をよぎったのでしょう。

行きたくない気持ちにムチを打って行っていました。辛くて辛くて仕方なくてトイレに入ったとたん、涙が溢れてきたり、自分の部屋に帰ったとたん泣き崩れたり。そんな日々でした。

眠れなくて真夜中に家を抜け出して誰もいない公園のベンチでボーッとしたり。余談ですが、その時の気持ちを思い出したくて、これを書いている今もその公園で書いています。

そんな気持ちで気力のない状態を生きていました。他人や周りの出来事への関心はほとんどなくなった僕ですが、不思議と内に向かう関心は残っていて、むしろ強くなっていました。

小さい頃に疑問に思っていたこと、大人になるにつれて封じ込めてきた想いなどを考えるようになったのです。

時間だけはありましたからね。それも、とてもとても長くって暗くって冷たいものでした。

小さい頃の想いなどは後ほど書きますね。

まあ、とにかく考える意欲はあったわけです。その中で考えたのは、僕自身が「いつにおうようになったのか」ということです。

誰かに確認する勇気もないので、考えるだけ無駄だったんですけど、考えずにはいられませんでした。

いじめられた時からそうなったのなら仕方ないことですが、「もっと前からそうだったのではないか」という不安が膨れ上がってしまったのです。

もしかして、今まで僕と関わってくれた人たちは我慢してたのかな…

そんな考えが頭から離れなくて、悲しくて、辛くて、悔しくって…

もう感情のコントロールなんてすでに失っていましたから、めちゃくちゃです。自分から深い闇の中に落ちていきます。ダメだって分かっていながら。

幻聴

そうやって闇に自ら突っ込んでいった僕ですが、気がつくと、幻聴が聞こえるようになっていました。

人に言われる悪口。それが、ひとりで家にいて、自分の部屋で耳を塞いでいても聞こえるんです。

怖くてたまらなくなりました。ひとりでいて耳を塞いでいるのだから、幻聴に他なりません。それはまだいいです。幻聴だとわかるんですから。

でも、僕が怖かったのは僕の聞いている声が実在しないものかもしれないということです。僕らが世界と繋がれるのは、世界を感じ取る感覚があるからです。

その感覚が疑わしくなったので、僕はここで何をしているのか、僕はなんのためにいるのか、本当にわからなくなってしまったのです。

さらに人間不信が悪化しました。もうなんのために生きているのかさえわからなくなりました。

そういう風に考えるようになった理由としていくつか要因があるので、それについてかきます。

僕に教えてあげているという言い分でいじめてきた人たち

僕には陰口にしか聞こえなかったんですが、

先に挙げたような

「くっせー」

「死ねよ」

「こっち来んなよまじ」

と言った言葉を善意だと称して僕に向けてきた人たちがいました。

彼らの言い分としては、僕に僕がくさいことを教えている、ということでした。

確かに、自分のにおいというのは気づきにくいものです。実際、僕も全く感じられませんでした。

しかし、その時の僕はもう誰かとすれ違う度にそう言った言葉を投げかけられていました。それで気づかないはずがありません。

おそらく、においは「きちんと風呂に入って洗濯してたらなおるもの」だという認識が強いのでしょう。

でも僕は毎日最低2回は風呂に入ってましたし、一度着た服は必ず洗濯しました。あまり洗えない上着も、いじめを機に自宅クリーニングをしました。

最低限の清潔感を保つための努力はしています。それに加えて、角質のケア、制汗剤の使用、服にも予防タイプの消臭スプレー、インナーは消臭機能のあるものを着用、汗をかいたら拭き取る、インナーは1日になんども着替える、消臭サプリメントの服用…。

これだけやって、なおせなかったんです。どれも全て、毎日やっていました。使う商品はいろいろ試しました。今までこれ関連のグッズにいくら使ったか分かりません。

ちなみに僕が試した中で効果が高く、今でも愛用しているものはこの記事にまとめています。

あっしーが愛用している体臭ケア&方法まとめ

もちろん、こういうケアは人前でやるものじゃありません。だから、この僕の努力を分かれ!というのは無理な話でしょう。

でもやはり、努力すればするほど苦痛は増すばかりでした。努力しなければしないで、強い罪悪感に襲われました。

こんな感じだったので、僕は「周りの人は僕を理解するつもりがないんだ」と思い込んでいきました。

それによって人間不信は悪化していき、僕は自らすすんで孤独な世界に閉じこもっていこうとしました。

「ストレス発散しようぜ」

僕が悪口言われるのは日常のありふれたことです。しかし、その中で僕がよく覚えている(ショックが大きかった)悪口があります。

僕がいるのを見つけたあるグループの一人が「あ、ストレス発散しようぜww」って言ったんです。

もう僕の悪口を言うのが日課になっているのでしょう。楽しんでやっている様子がビシバシ伝わってきました。

「悪口や愚痴はいけないこと」という認識は多くの人が持っています。しかし、なぜだか日常のなかではこうやって正当化されてしまうことがよくあります。

これは目の前に自分の利益がぶら下がった時に、目がくらんでしまうからです。この場合は「ストレス発散ができる」という利益につられ、「悪口は人を傷つける」ということが見えなくなっています。

その人たちを見ていて思いますが、僕のことなんか眼中にありません。彼らは僕を傷つけようとすら思っていないです。

だから、傷つけようとは思っていないし、人を傷つけるのはしたくないという良識も持ちながらにして、こういうことをしてしまいます。

僕はこの体験から、「自分の利益ばかり気にしていると、意図せず人を傷つけてしまう」という教訓を得ました。

これが僕がいじめられてよかったと思うひとつの理由です。

僕の通っていた学部は…

僕は大学時代にいじめられていました。僕が通っていた学部は福祉について学べる学部でした。教師を目指す人もいました。

福祉っていうのは、「福」という字と「祉」という字でできています。そして、その両方が「幸福」つまり、「幸せ」という意味を持っています。

だから福祉というのは、「誰かの幸せのために何かをすること」です。僕が通っていた大学には、そういう仕事に就くことや、そういう人で在ることを目指す人が集まっていました。

それなのに、です。僕はいじめられていました。自分自身がいじめられていることへのショックと、人を育てたり支えたりすることを目指す人達がいじめをするというショックの2つのショックに襲われました。

「世の中腐りきってんな」

「ここに希望なんかない」

そんな風にこの世界、社会に対しても絶望感を持つようになりました。もうなんにも信用できませんでした。

未来への不安

「ずっとこんな状態が続くのだろうか?」

そんな疑問を持ち始めました。現実は今こんな状態だとしても、未来に希望が持てれば生きようという意欲も生まれます。

だから、たくさんたくさん対策グッズを買いあさり、わけもわからないまま迷走しました。

バイトしたお金はそのグッズに費やす。それを使ってバイトに行く。もう自分は何のために働いているのかわからなくなりました。

社会に出てからもなんのために働くのかわからない状態で、働き続けるのかもしれない…

そう思うと恐怖しかありませんでした。だから僕はビジネスや投資などの情報収集を始めました。それをしている時間は前向きになれたのを覚えています。

ただ、当時は結局行動するには至らず、そのことについては今、ものすごく後悔しています。

今の僕はブラック勤めで時間もお金の自由もありません。学生時代なら実家暮らしだったので、バイト代は自由に使えました。時間だって今よりずっとありました。

後悔しても仕方ないですし、自分で稼ぐスキルを身につけることは、今やらないと今後も後悔するだろうと確信しています。

だからこそ僕は、こうやってブログを書いたり、最近ではライターの仕事も始めました。

「足の力を伝えたい」というのも本音です。しかし今は、「生きる意味を感じられない仕事環境から抜け出すこと、そして、その姿を見せることで似た境遇の人の希望になりたい!」そんな想いの方がずっと強いです。

僕が足の力を伝えたいと思ったきっかけについてはこちら。

「足の裏」のすごさに気づいたあっしーの物語

小さい頃考えていたことから生き方を考える

未来を考えるにあたって、僕は自分の過去を振り返りました。自分の根っこの部分に立ち返ろうと思ったのです。

僕は一体何に関心があって、何が好きだと感じて、なにに違和感を持っていて、なにをしたいと思っているのか。

僕は言語化すること、特に自分の感情を言語化することがとても苦手です。だから、この振り返りはものすごく時間がかかりました。

ずっとずーっと何日も何日も考え続け、ときどき一つの問いに対してふと、ひらめきのように何かが呼び起こされるような、降ってきたような感覚で答えがやってきました。

そうやって少しずつ、少しずつ、僕は僕自身について理解を深めていきました。

僕は小さい頃に不思議に思っていたこと、違和感を感じていたことがいくつかあります。

  • 大人は嫌いな人なほど笑顔を見せること
  • 大人はやりたくないことにほど手をかけること
  • 人間と動物や植物を切り離して考えること
  • 生きる意味を誰も答えてくれない
  • 生きる意味を考えることに周りは嫌悪感を持っていること

ざっとこんな感じです。

大人に対することと、自然や生きる意味の2つに分けて書いていきますね。

大人に対する違和感

大人が自分を偽っているのがとても不思議でした。大人になった今は、偽っているのではなくて相手に合わせて演じているという感覚なんだということも分かります。

でも、結果的に自分にも相手にも嘘をついていると思うんです。自分も苦しんでるじゃないですか。

相手に合わせることをしたいと思っているなら、それは嘘でもいいと思います。ときには相手に知らせないでおいた方がいいことはあるからです。

だけど、やりたくないと思っていながらそうしている大人は、子どもの僕には理解不能でした。だって、それをすることで得する人は1人もいませんし、誰も望んでいないじゃないですか。

今の僕はやりたくないけどそうしなきゃいけないような気がする、という感覚も分かりますし、それに負けてしまうこともあります。

でも、僕はやっぱりこの小さい頃の感覚を大事にしたい、と結論を出しました。

自然と人間の関わり方や生きる意味

僕は小さい頃から自然が好きでした。木のぼりや虫とり、釣りなどをして遊んでいました。

代わりに、正直言うと人間が嫌いでした。自然を壊すからです。

車などの自動車は大きくて不快な音を立てなながら、汚い排気ガスを出します。子供のころの僕はそれが本当に大嫌いで、道を歩くとき(特に大きなトラックが通るとき)は、耳を塞ぎ、息を止めて歩いていました。

今はすこし慣れてしまっていますが、依然苦手でして、デジタル耳栓を使うときもありますし、今だに息を止めることもあります。

僕が愛用しているデジタル耳栓の記事はこれです。

目に見えないものへの関心

小さい頃は目に見えないものの力を漠然と信じていました。「悪いことをしているのを神様が見ている」しつけの時にそんな言葉を聞いたからかもしれません。

いじめられていた僕は、自分自身も他人も、人間の世界も信用できませんでした。でもそれは目に見えるものの話です。

小さい頃を思い返して、目に見えないものの力への関心も同時に思い出しました。「目に見えない不確かなものでもいいから、とにかく希望が欲しい」そんな気持ちでした。

自然のことは信じていました。そして、自然を作っているのは目に見えないものの力だと思っていました。

だから僕は、自然の中で暮らせる環境がいいなとなんとなく思っていました。それから、人とはなるべく関わりたくない、とも思っていました。

そう思ってからは、自然の中で人と関わらず生きる方法について毎日、パソコンで検索する日々が続きました。

ただ現実は甘くありません。田舎に行けば自然は多いです。でも田舎では人々の結びつきが強いです。自然の中で人と関わらず暮らすのであれば、本当に人気のないところでサバイバルのような暮らしをするしかありません。

もちろん僕はサバイバル知識はもっていませんし、経験もありません。生活に必要なものを自然の中から作り出すのは無理でした。

それに、ライフラインが整っている環境が当たり前で生きてきています。今さらそれなしでの生活なんて、したいとは思えなかったのです。

まあ、電気を自然エネルギーで起こしたり、劣化した水道管を通したものでなく、綺麗な地下水を使ったり、ガスや火薬ではないもので起こした火などはとても良いなぁと思いますが。

ただ、それを実現するのは今すぐや近い将来では無理だと判断しました。そういう暮らしをするなら広大な土地やそれなりの設備が必要です。そして自分の身を守るための知識が必要です。

僕にそれを実現するだけのお金はありません。ただ、もし、それだけのお金を稼ぐことができたら、取り組んでみたいという意欲は今でもあります。

田舎には土地はたくさんありますから。人がいなくて困っている地域も。

僕は自然を感じられるような設計でそういった環境を作るつもりです。自然破壊は最小限にします。

僕が暮らすことを目指して作るのも良いですが、そういった暮らしを体験できる施設として作るのも面白いかもしれませんね。

観光業です。限界集落などにそういった施設を作って人を呼び込む。社会貢献もできます。

この文章を書いていて思いついたんだ書きましたが、これ、めちゃくちゃ面白そうですね。実現したいです。

このブログで収益を上げるもよし、ブログで認知度が高まったらクラウドファンディングするもよし。今思いつく方法はそんなものですね。

と、すみません。突然の思いつきで話がそれてしまいました。話を戻しますね。

いじめられていてこれからの暮らしをどうするか考えていた僕は、今の余談で書いたような暮らしは無理だと思いました。

でも、それでも、なにかこう、自然に気持ちを寄せながら暮らせたり、目に見えないものとともに生きるような生き方はないものかと考えていました。

なにかそういった思想はないものかと毎日、毎日、パソコンで調べていました。そうやって調べている時間はとても平和なものでした。ほっと安らげたんです。

自分が未来に向かっている、という感覚も持てました。だから時間が空けばひたすらに調べていました。

そんな中である時、あるひとつのサイトにたどり着きました。とても不思議な雰囲気のあるサイトで、他のものとは明らかに違うと直感しました。

そのサイトとの出会いが、僕の荒みきった心を少しずつ少しずつほぐしてくれたんです。

闇の中に見えた一筋の光

そのサイトのトップページを読むと、なにやらよく分からないことが書いてありました。内容が難しくてなにが書いてあるのかさっぱり分からなかったのです。

ただ、それを書いている人も「人間はもっと自然と生きるべきだ」という考えを待っているということだけ分かりました。

そのサイトを見つけた日はそのトップページだけを読みました。訳わからないことを読み続けても仕方ないと思ったからです。

でもなぜだか、訳わからないのに気になってしょうがなかったのを覚えています。訳わからないのにそのサイトのことを考えてしまうのです。

モヤモヤしていた僕は、次の日もそのサイトを開きました。訳わからないまま、記事をいくつか読みました。

そうすると、読みやすい記事も見つかりました。それが分かった僕は、読みやすい記事を中心に毎日毎日、そのサイトを読み漁りました。

動画なども貼り付けてあって、結構なボリュームでした。貼ってある動画やリンク先、そのサイトの運営者が以前運営していたサイト、その全てを見ました。

その中で日常で実践できることは実践しました。それはとても簡単なことで、部屋はよく換気するとか、飲み物は水を飲めとか、そんなのです。

ただそれをすると何故いいのかというのが、他のサイトとは明らかに違う論理で書かれていました。僕はそれに信頼を寄せたんです。

取り組んだことは小さなことでしたが、やろうと思えることがあるのは、僕の大きな心の支えでした。

そうやって気持ちが少しだけ前向きになれるようになった僕は、においに悩んでいることやいじめられていることを誰かに話してみようと思いました。

助けを求めた2人

僕が自分のにおいについて話したのは、2人います。そして、そのうちの1人は実の母親です。

ただ、母親に話をしたのはいじめを確信する少し前のことです。話が前後して申し訳ないのですが、母親の話もさせてください。

母親に打ち明けたら…

いじられているかもしれないと不安に思っていた時、母親に打ち明けました。打ち明けたといってもいじめのことは言いませんでした。

「ただ話をしても反応がないかもしれない…」そんな不安がありました。

何故かというと、僕の母親は対話をあまりしない人だからです。僕が小さい頃からそうだったから、きっと話なんて聞いてもらえないだろうと思ったんです。

対話をしないとはどういうことか。

これは、僕が持っている他のツイッターアカウントで呟いたことです。僕はこういう風に育てられました。

こういう過去があるから、僕が辛い気持ちを訴えても相手にされないだろうと思ったのです。

でもどうにか聞いて欲しかったのです。だから僕は、「周りの人にくさいって言われる。風呂とか色々ちゃんとやってるけど治らない。病気だったら困るから病院に行きたい。」そう言いました。

「大学生なら1人で行けよ!」って声が聞こえてきそうですが…

僕はすごい臆病で初めてことに関しては、なるべく触れたくないと思うような人間でした。(今は少し改善しました。こういうのって慣れるものですね。)

僕は身体が強い方だったので、親と病院に行ったのは、(記憶に残っているものでは)本当に数えるほどだったのです。病院慣れしていませんでした。

そんなこんなで病院に行きました。病院には迷惑がられて、突き放されて終わりましたが。

におい専門の医者がいるかは知りませんが、普通に内科に行った僕は取り合ってもらえませんでした。

まあ、それはどうでもいいです。僕はもともと病院嫌いでしたし、薬やらなんやらも信用していなかったので。

で、ゴタゴタしましたが、母親には僕がにおいに悩んでいることは伝えられました。

いじめは家族内でもされるようになり、家でも悪口を言われていました。母親には事前に打ち明けていたにもかかわらず、母親も僕の悪口を言っていました。

それがたまらなく辛かったのです。僕が勇気を出したのはなんだったのか。僕のことなどどうとも思っていないのか。

母親は父親を立てる人なので、父親の気分を害さないためにそうしていたのかもしれません。

そして、そんないじめが長く続きエスカレートしていた頃、僕は自殺を考えていました。自殺を考えていることは誰にも言いませんでした。

そんな時に母親にこんなことを笑いながら言われました。「自殺は電車への飛び込みと、遭難以外ならいいよ。この2つはお金かかるからさーww」

たしか、自殺で電車飛び込んだ人がいるというニュースをテレビで見ていた時だと思います。

あまりにもタイムリーで驚きました。

僕の事情がどうであれ、実の母親が子どもにこんなことを言うものなのか?

もう、僕は家族さえ信用できませんでした。

元恋人に打ち明けたら

僕があるサイトに出会って、少しずつ前を向けた時に元恋人に連絡を取りました。その人とは高校生の頃付き合っていて、卒業と同時に別れました。

その後数年はメッセージをやりとりしたり、何度か食事に行ったような仲でした。

今さら恋人に戻る気持ちなどなかったので、こんな話をするのはどうかと思いました。でも、それでも打ち明けたい理由が僕にはありました。

当時の僕は、会う人会う人に悪口を言われるので、人間関係なんてあったものじゃないです。

でもだからと言って、なんでもかんでも自分のにおいを言い訳にして、逃げているようですごく嫌でした。

目に見えないものの力、スピリチュアル的に言えば、人生のトラブルは自分を振り返るきっかけです。間違った方向に進んでいることを教えてくれているわけです。

そう考えると、人との関わり方を見直すべきなのかなと思ったわけです。

僕は解決していないことを人に相談することはほとんどありません。あるとしても、本気で悩んでいることではなく、当たり障りのない話題であり、かつ軽いものだけです。

重い悩みを誰かに話すという経験は、人との関わり方を変える一歩になるのではないか、そう思いました。

元恋人を振り回すことになりますが、僕は意を決して打ち明けることにしました。

その時はメッセージのやりとりも1年ぶりくらいだったと思います。「久しぶり!元気してるー?」なんて話から入りました。

人間関係では基本的に僕は受け身なので、自分から連絡を取るのも稀なことでした。だから、「どうした?」って元恋人も思ったと、後から聞きました。

僕は当たり障りのないやりとりの後、なんで連絡したのかを伝えました。

自分のにおいが不安なこと。

自分ではにおいがわからないこと。

いじめられていること。

誰も味方がいないこと。

外を出歩くのも辛くて仕方ないこと。

このままじゃ就活なんて手につかないこと。

それを変えたいと思っていること。

全てをざっくりと説明しました。元恋人は急な話にもかかわらず、きちんと話を聞いてくれました。

そして、「においのことはメッセージのやりとりだけじゃ分からないから、会おう」となりました。

予定を合わせ、僕らは久しぶりに対面しました。明るい笑顔で迎えてくれました。僕はそれだけで泣きそうになったのを覚えています。

それから、詳しく僕の状況について話しました。ゆっくりゆっくり、言葉を選びながら、自分の気持ちも僕なりに頑張って伝えました。

一通り話し終えると、元恋人は「いじめられている状況はどんな風なのか分からないけど、べつににおいは気にならないよ。」そう言ってくれました。

「嘘かもしれない。」僕はそう思いました。

せっかく話を聞いてくれ、わざわざ時間を割いて会ってくれたのに、です。

そんな僕に元恋人は「また会おう。」とだけ言ってくれました。

態度で示すつもりだったのかもしれませんし、よりを戻したかったのかもしれません。それは分かりませんが、僕に会おうと言ってくれたことはとても嬉しかったです。

そうやって逢瀬を重ねたのですが、そのなかで僕は周りの声を気にしなくなりました。

悪口を言われていようが、「元恋人は僕を認めてくれてるんだ。においも大丈夫だと言ってくれた。」そう思うと前向きいられました。

元恋人は僕を闇から救ってくれた恩人です。

やることをやれるようになる

いじめられてドン底だった僕は、食事もろくにできないほど気力がありませんでした。

しかし、元恋人と会うようになってから気力が湧いてきました。ちょうどその頃はみんな就活をし始める時期でした。

僕はやる気なんぞなかったのですが、元恋人に「就活はやらないとダメでしょ。行きなさい!」と優しく諭されました。(文字だけだと伝わりづらいですけど、思いやりを込めて言ってくれました。)

それで渋々、僕は就活をして就職が決まりました。とりあえず、形だけでも前に進めました。

においのことはダメですが、職が決まったことで家族からの風当たりも少しだけ良くなりました。

そんな風にして、目の前のことに取り組むことができるようになった僕は、元気を取り戻していきました。

それでも悪口が聞こえると胸が苦しくなって、ドン底だった時の感覚に襲われました。だけど、落ち込んでても何にもならないことは痛いほど分かりました。

誰も助けてはくれないのです。自分から踏み出さなくては。

だから、悪口がどうであれ頑張ると決めたのです。自分のやることに自信を持てるようになろうと。

早い話、くさかろうがなんだろうがなにかに努力している姿勢や実績があれば、それに人が集まってくると。そんな下心で(笑)頑張ってました。

そんな下心があったからこそ(?)、今の僕があります。

僕はいま働いていますが、職場ではいじめられていません。良いグッズに出会えたことや、僕の人と関わる姿勢が変わったこと、みんなの人がいいこと、そんな理由だと思います。

ちなみに、僕がいま愛用している体臭対策グッズはこの記事にまとめています。

僕の心情を音楽で理解する

ここまで、いじめられてきた僕の心情を文章で書いてきました。ただ、文章では細かいニュアンスは伝わりにくいと思います。

そこで、僕がいじめられているときの気持ちで共感した音楽を紹介します。

BLACK BARD/Aimer

 

この曲はものすごく共感しました。いじめから解放された後に知った曲でしたが、「いじめられていたときの自分ってこんな感じだった!」と聞いた瞬間思いました。

曲の雰囲気も歌詞も好きです。ちなみに、僕はこの歌を歌っている歌手のAimerのファンです。ほかの曲もいろいろ聞きます。

頑張っているのに報われない。そういう気持ちを代弁してくれた曲です。

僕が死のうと思ったのは/中島美嘉

 

この歌はいじめられてドン底にいたときに、ずっと聞いていました。タイトルを見るとちょっと重たいと思うかもしれませんが、曲の最後は希望が見えるようになっています。

歌詞のストーリーは、自殺を考えている人が主人公で、ずっとずっと死ぬ理由を考えています。しかし、ある時にある人と出会い、その出会いをきっかけに主人公は生きることに希望を見出します。

「死にたい」と思うことがなんら特別ではなく、小さな小さな理由で崩れてしまうものだというのがすごく表現されています。僕はそこに共感しました。

最後の希望はその当時見えていませんでしたが、そんな希望が僕に訪れるのだろうかと切なくなりながら聞いていました。

One survive/中島美嘉

 

こちらは明るい曲です。あるサイトに出会い、少しずつ気持ちが前向きになってきた時によく聞いていました。自分を鼓舞させるような感覚で、カラオケに行ってよく歌ってもいました。

「一人でも大丈夫」そんなメッセージに背中を押されていました。孤独になにかを頑張っている人に聞いてほしいです。

最後に

僕はこんな心情で生きてきました。

このページの冒頭で書いたように、これを読んだ人が元気付けられたり誰かに寄り添えるようになったりしてもらえたら嬉しいです。

もちろんそれも本音ですが、この文章はほぼ僕が僕自身のためにまとめたものです。

そのときの苦しい体験が僕を支えています。誰も自分を必要とする人はいなくても生きていけることを知ったし、逆に言うと、そんな状況でも生きていかなくてはいけないのだと実感したからです。

その実感を形あるものにしたくて、こんな文章を書いてみました。記憶は気づかぬうちに書きかわっていくもの。

「大事なことは記憶ではなく、記録に残す。」

この言葉は僕が中学生の時にある先生が言っていた言葉です。今でも大切にしています。

自分のための記録だから、きたないところもつつみ隠さず書いています。読みづらい部分や不快に思う部分、多々あったと思います。ここまでお読みいただいて、本当にありがとうございます。

褒められた文章でないことは僕も承知の上です。でも、だからこそ、いじめられている人の心情の真実があると思います。

きたないもの、結果の出なかったもの、不正があったもの…

今の世の中はこういったものをすぐに消そうとします。問題を取り上げるだけ取り上げて、みんなで叩く。そのあとは嵐が去ったように無関心。

僕はそんな風潮が嫌で嫌で仕方ありません。そして、その風潮に飲み込まれつつある僕自身が嫌で嫌で仕方ありません。

そういう僕自身の目指したい生き方も、この文章に込めています。自戒として。

僕はこれから幾度となくこの文章を読みなおすでしょう。

いじめというのはほんの些細なことで始まります。僕らの心の弱さがいじめを生みます。そして、いじめを受ける側や見ている側の心の弱さを食い物にして、いじめはどんどん大きくなります。

「いじめは誰にでも起こりうることなんだ。」

そんな当たり前のことを忘れずにいたい。

僕はいじめられて自分の生き方を振り返る機会を得ました。そこで僕が望んだ生き方を忘れずにいたい。

そんな想いで書きました。その想いをいつでも、何度でも、思い出しに僕はここに戻ってくるのでしょう。

いや、戻ってきてくれなければ困ります。これだけ大作になったのですから(笑)

こうやって思い返しながら考えていると、想いは果てしないと実感します。僕は今、その中のどれだけのことを具現化できるのだろうかと、考えています。

そうしていると、ふつふつとやる気がみなぎってきます。何度でも、そうやって自分を奮い立たせて、前に進んで欲しい。そんな想いです。

とめどない想いを書いていると、いつまでも終わらないので、ここで筆を置こうと思います。

途中語尾が崩れたところは、僕がとくに気持ちを強く持っている部分です。

繰り返しになりますが、こんな読みにくい文章を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

あっしー

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「足には僕らの身体を変えるちからがある。」 そんな想いのもと、 足元から生活を豊かにする情報を 発信しています。 はじめまして、あっしーです。 僕は慢性的な疲れやすさを 抱えていました。 その疲れから僕を解放してくれたのが リフレクソロジー・足つぼでした。 その体験から足の持つ可能性を知り、 足に関するさまざまなことを勉強し始めました。 そこで得た知識を、多くの人に伝えたい! そんな想いでブログを書いています。 [詳細]