2020/08/20

こんにちは、あっしーです。
アニメ『シャーマンキング』を見たので、感想をまとめたいと思います。
脚とは関係ないものもあります。でも、僕の考え方とか感じ方とかがわかったほうが、僕の文章が読みやすいと思いました。だから、今後は映画やドラマなどの感想も書いていこうと思っています。
もくじ
なんで『シャーマンキング』を見ようと思ったのか
僕のサイトにはスピリチュアルについても書いています。その勉強のためにシャーマンについて調べていたら、シャーマンキングがヒットしたんです。
アニメでしかもファンタジーっぽくない感じでスピリチュアルを扱うのは珍しいんじゃないか、と思って見始めました。
人間が人間ぽくない感じで描かれることもありますけど、それは目に見えない力を視覚化している表現として使われています。
アニメは現実的にはできない描写ができることが強みだから、実はスピリチュアルとの相性はいいんだなと気づきました。
スピリチュアルって抵抗感じる人多いんですけど、その大きな原因って「見えないこと」なんですよね。
それをアニメなら解決できるんだなぁと思いました。
『シャーマンキング』のはじめの印象
とにかく主人公が主人公らしくないってところが、僕の最初の印象。
だいたい主人公って明るくってまっすぐで、気持ちが強い感じが多いですよね。でも『シャーマンキング』の主人公、麻倉葉(あさくら よう)は全然違います。
面倒くさがりで楽観的でゆったりしています。といっても、だらしない感じはさせない不思議なキャラクターです。
口ぐせは「まあ、なんとかなるさ。」僕はこの言葉を葉みたいに使えるようになりたいなと思いました。
それについては後半で書きますね。
現代社会の問題を描いている
現代ではスピリチュアルとかシャーマンはあんまり重要視されません。科学が社会を支えています。
もちろん、科学も大事です。だけど、科学ばかりに頼ることで起きる問題もあります。
人とのつながりの薄さ、気持ちをないがしろにするような雰囲気なんかがそうです。そういうことを指摘しているような表現があります。
それはシャーマンの素質を持った人が、周囲の人から理解を得られないという物語として描かれています。
シャーマンは霊的な力を使いますが、それは日常とかけ離れた力ではありません。霊と対話ができるとかそういう部分は特別かもしれませんが、それだけでは霊と共同作業することは難しいです。
葉の霊との接し方を見ていればわかりますが、気持ちに寄り添うことがとても大事です。霊にも感情があります。そして、感情や気持ち、想いとはエネルギーです。気とも言います。
そのへんはこれにも書いています。
つまり、シャーマンは普通の人よりも気持ちを感じ取る力が高いです。そして、だからこそ人が人の気持ちをないがしろにしていることを敏感に感じ取ります。
だからこそ、人のそういった気持ちのあり方などを伝えるのがシャーマンの役割です。でも、シャーマンは気味が悪いと言われ、周囲から浮いてしまいます。
葉がシャーマンの素質があるからといって、友達ができないというエピソードは、友達の大切さと気持ちをないがしろにしがちな現代社会の問題のふたつを描いているものだと僕は理解しました。
他にも自然破壊などの問題も取り上げられています。
大人も子どもも楽しめる
社会問題を取り上げていると書いたので、子どもには難しいと思った人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。
ほのぼのした雰囲気やキャラクターの必殺技などがあるので、子どもも見ることができます。
主要キャラクターは12.13歳くらいなので、年齢的な親近感も持てます。
ギャグも入っていて笑える部分もあるので、楽しみながら社会問題について学べるでしょう。
葉の口ぐせ「まあ、なんとかなるさ」
『シャーマンキング』を見ずにこの言葉だけを見ると、葉はただの楽観主義者にしか思えないかもしれません。
でもこれは違います。葉はかっこいいです。
葉は「なんとかなるさ」と言って、運任せにしているわけじゃないんです。
葉は面倒くさがりですけど、仲間に支えられながらやるべきことはきちんとやります。
「やるべきこと、やれることは全部やってきた。だから、なんとかなるさ。」ってことです。
自信から出てくる言葉なんです。そして、ピンチの時に諦めずに頑張ろうと自分を奮い立たせる言葉なんです。
気持ちが後ろ向きになったら、前に進めませんからね。
『シャーマンキング』はシャーマンファイトと言って、シャーマン同士が戦ってシャーマンの王(キング)を決めるという話です。
で、シャーマンファイトでは持っている攻撃力はもちろんなんですが、それを扱うときの気持ちによって力の質が変化します。
だから、葉が「なんとかなるさ」と言えるのはとてもすごいし、強いんです。
葉のこのバランス感覚は僕も見習いたいなと思いますね。
シャーマンと普通の人間を分けたがるのはどうして?
作中ではシャーマンは人間ではないと描かれるシーンがあります。
葉がシャーマンの資質があるから、友達ができないのもその描写です。周囲がシャーマンは異質だと捉えているからこそ、仲間はずれになります。
葉は友達ができないことを悲しんでいるので、「シャーマンもそうでない人もおんなじだ」という考えでいます。
葉にできた最初の友達であり、一番の友達(小山田まん太)がシャーマンではないのも影響しているのでしょう。
しかし、葉たちの敵キャラである葉王(はおう)はシャーマンと人間は別物として考えています。
葉王は人間には生きる価値がないと考えているのです。だから、シャーマンだけの世界をつくろうとしています。
たしかに、シャーマンは普通の人間より気持ちに敏感ですし、霊的な存在を扱う能力があります。
だけど、全くの別物というわけではないはずです。
僕らは現実世界で「人間と動物は違う」と思いがちですけど、人間も動物です。それと同じことだと思うんです。
僕ら人間は言語や文明を持っています。道具を自分たちで作るし使います。感情も他の動物よりも複雑なものを持っています。
でも、だけど、動物には変わりありません。違いはあるけど、切り離して考えられるものではないはずです。
僕らがこうやってめちゃくちゃな分け方をしてしまうのは、全体と部分の両方を見る力が欠けているからだと思います。
色んなことは細分化することができます。細分化するとその事柄を明確に理解できるので、なにかを考えるときはとても大事な方法です。
「分けること」で「分かること」ができるんです。漢字の通りです。
しかし、細分化したからといってそれらは別個の存在になるわけではないのです。ある側面ではそうかもしれませんが、違う部分ではなにかと繋がっているのです。
その繋がりが見えなくなると色んなことが分からなくなります。
分けることで分かるのは、全体が見えていてそこから部分に分けるからこそです。
細かい何かがバラバラに見えていて、それをそれ以上分けることができなくても、それは分かることにはなりません。
いろんな要素に分けられること、いろんな要素を繋げられること。これらは二つで一つです。それはいつも忘れたくないなぁと思いました。